【雑学】今日6月6日は楽器の日!
こんにちは!音楽大好きMegumiです☆
突然ですが、今日6月6日は楽器の日なんだそうです。
楽器の日
「楽器の日」は、1970年に全国楽器協会により制定されました。
「芸事の稽古は、6歳の6月6日から始めるのが良い」というならわしに由来し、
また、指で折って数を数えると、ちょうど6の時に小指が立つことから、
「子が立つ」縁起のよい日とされています。
http://www.zengakkyo.com/thegakkiday/index.html 全国楽器協会より
楽器の日とは言えなんで6歳の6月6日っとなったのか、気になったので調べてみました!
世阿弥(ぜあみ)が残した『風姿花伝』
そもそも、6歳に稽古を始めるとよい!といったのは世阿弥(ぜあみ)という人物だそうです!
室町時代に能役者であり能の作者でもある世阿弥(ぜあみ)が残した『風姿花伝』に、「この芸において、おほかた、七歳をもてはじめとす」(訳すと「稽古を始めるには数え7歳がもっとも良い」)と記されているそうです。
「7歳」と書かれてはいますが、当時の室町時代は数え年だったため現在で考えると「満6歳」となるわけです!
なぜ6歳が良いのか?
『風姿花伝』の中に、
「この芸において、大方7歳をもて初めとす。このころの能の稽古、かならずその者自然といたすことに、得たる風体あるべし。舞・はたらきの間、音曲、もしくは、怒れることなどにてもあれ、ふとしいださんかかりを、うちまかせて心のままにせさすべし。さのみに、善き悪しきとは、教ふべからず。あまりにいたく諌むれぽ、童は気を失ひて、能ものぐさくなりたちぬれぽ、やがて能は止まるなり。ただ、音曲・はたらき・舞などならではせさすべからず)」。
まぁ、簡潔に言いますと、「子ども自分からいろいろとやりだす時期、大人があれこれ言うとやる気をなくしてしまうので、のびのびとやらせましょう」といった感じです!
めちゃめちゃいい考え方だなっと思いました!!
子どもはチャレンジ精神が旺盛!この時期にたくさんの事を経験させ、その中で個々の才能が目覚めるのかなと思いました!
なぜ6月6日?
6歳で始める理由はわかりましたが、なぜ「6月6日」??
いろいろと理由はあるそうです。
・指で数える時の手説
一つは全国楽器協会でも書かれている「指で折って数を数えると、ちょうど6の時に小指が立つことから、 「子が立つ」縁起のよい日」とされているからだそうです。
手の平を開いた状態で、「1,2,3,4,5,6」と数えていくと、多くの人が「6」で小指が立ちますね(少数で親指の人もいるそうですw)
そこから「小指が立つ」→「子が立つ」→「子どもが自立する」と言うことで、縁起が良い事から「6」の数字が揃う「6月6日」っとなったそうです。
・歌舞伎か説
歌舞伎の台詞の中で、「六歳の六月六日の~」といった語呂の良い六続きの言い回しが江戸時代のあたりから使われるようになったそうです。
この「六歳の六月六日の~」という言い回しが広がりそこから「六歳の六月六日に習い事を始めるとよい」となったそうです。
まとめ
子どもは本当に興味とチャレンジ精神が旺盛です!理屈ではなく「まず、やってみる!」でたくさんのことに挑戦しています。それを注意するのではなく、思いっきりチャレンジさせてあげることが一番の教育なのかなと思いました!
そして、よく「子どもは親の背中を見ている」といいますが、大人もチャレンジし続ける事も大切なんだと思います!
私も、子どものようにいろんなことにチャレンジをしていきます☆
世阿弥(ぜあみ)
正平18年/貞治2年(1363年)? - 嘉吉3年8月8日(1443年9月1日)?)は、日本の室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師。父の観阿弥(觀阿彌陀佛)とともに猿楽(申楽とも。現在の能)を大成し、多くの書を残す。観阿弥、世阿弥の能は観世流として現代に受け継がれている。
幼名は鬼夜叉(おにやしゃ)、そして二条良基から藤若の名を賜る。通称は三郎。実名は元清。父の死後、観世大夫を継ぐ。40代以降に時宗の法名(時宗の男の法名(戒名)は阿弥陀仏(阿彌陀佛)号。ちなみに世は観世に由来)である世阿弥陀仏が略されて世阿弥と称されるようになった。世の字の発音が濁るのは、足利義満の指示によるもの。正しくは「世阿彌」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E9%98%BF%E5%BC%A5『ウィキペディア(Wikipedia)』より
『風姿花伝』
- ジャンル: 本・雑誌・コミック > エンターテインメント > 演劇・舞踊 > 歌舞伎・能
- ショップ: 楽天ブックス
- 価格: 1,026円
世阿弥が記した能の理論書。世阿弥の残した21種の伝書のうち最初の作品。亡父観阿弥の教えを基に、能の修行法・心得・演技論・演出論・歴史・能の美学など世阿弥自身が会得した芸道の視点からの解釈を加えた著述になっている。
成立は15世紀の初め頃。全七編あり、最初の三つが応永7年(1400年)に、残りがその後20年くらいかけて執筆・改訂されたと考えられている。「幽玄」「物真似」「花」といった芸の神髄を語る表現はここにその典拠がある。最古の能楽論の書であり、日本最古の演劇論とも言える。
多くの人に読まれ始めたのは20世紀に入った明治42年(1909年)に吉田東伍が学会に発表してからで、それまでは能楽流派の奈良金春宗家の相伝の「秘伝書」の形で、その存在すらほとんど知られていなかった[1]。『花伝書』の通称が用いられていた頃もあったが、後の研究の結果現在では誤称とされる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E5%A7%BF%E8%8A%B1%E4%BC%9D 『ウィキペディア(Wikipedia)』より